「立つ瀬」

 久しぶりに気ぜわしさから解かれて、藤沢周平エッセイ集「ふるさとへ廻る六部は」の後半を読んでいる。六部とは巡礼のこと。「ふるさとへ廻る六部は気の弱り」は彼が自嘲気味に詠んだ古川柳だが、この旅は自分の基(もとい)を再確認する旅でもあった。正月に読む3冊の最後だが、じっくり味わいながらページをめくってきた。
 
 「私はそのころ四十前後だったろう。もはや小説にうつつを抜かす年齢ではなかった。しかし一方で私は、小説にでもすがらなければ立つ瀬がないような現実も抱えていた。せめて新人賞に夢を託すようなことが必要だったのである」
 
 この一文の「立つ瀬」という言葉に躓(つまず)いた。「立つ瀬…」、険しい響きに聞こえた。己の立つ瀬とは、背をそらしながら伸ばした足の親指で必死に堪えている瀬戸際の構図。その指先に少しだけ密着している自分の欠片(かけら)の正体はなかなか分からない。藤沢はこう述べている。「文学の魔性はしっかりと私に取り付いていたのかもしれない」。
 
 二つの文章に出会えただけで、読んだ価値が十分過ぎるほどであった。夕方までに読み終えるだろう。オレは喜々として鮭を焼き、大根と小松菜の味噌汁を作るだろう。珠玉の一日。