「この子は宝子ですたい」

 「この子は宝子(たからご)ですたい」。今年もっとも心を動かされた言葉だ。朝日「折々のことば」(4/21付)に載った。水俣病の少女を抱く母親に「お母さんも大変でしょう」と声をかけると、そう返事があった。「自分がのみ込んだ水銀をこの子が全部吸い取ってくれたから『大恩人』なのだ」。3日間、机代わりのテーブルにおいている。
 
 「折々のことば」(鷲田清一)は毎日切り抜く。何回か切り落としはあるが、教文館の厚い袋に溜めている。今日は378回目、仙崖「よしあしの中を流れて清水哉(かな)」。これもなかなか良い。しかし、「宝子ですたい」のリアリティと迫力には圧倒的に訴求する生きた言葉の力がある。何回も見直して、そのたびに涙ぐみそうになる。
 
 以前、切り取りしてたら家人から「それどうするの?」と訊かれた。予想しない角度からの突っ込みで、「あぅぅ…」と絶句。どうするつもりかなど考えたこともなかった。とにかく取っておきたいだけだった。実際のところ袋に入ったコラムを取り出して何かに使ったことはなかった。でも丁寧に扱えば胸を打つ言葉にまた会えるかも知れない。