「謝罪より社会的死を」の風潮

 本日6月1日は衣替えの日。このところの真夏日と低温日の乱高下で、冬・夏物のセーターやポロシャツが雑然と重ね置かれている。そろそろ家人から「片付けるものをまとめておいて」と気合が入る頃だ。毎年なかなか手につかなくて叱られる。
 
 新しい酒は新しい皮袋に、と心機一転を図りたいが、無理だ。今日も安倍首相記者会見、舛添都知事の都議会所信表明がある。政治家は本来、言葉に生きる職業だ。「1億総活躍」なんて恥ずかしい。政治家の言葉がもっとも時代遅れだ。
 
 甘利明・前経済再生相は不起訴を受けて、「説明を受けとめてもらえた。体調も徐々に回復してきており、医師と相談し、政務に復帰する時期を考えたい」。甘利にも程がある。起訴されなければなんでもアリか。道義的責任が残る。
 
 これまでの混乱振りは政治不信を募るだけ。世人の心はすでに荒(すさ)んで、謝罪だけでは許さなくなってきた。気に入らない餌食には石打ちで社会的死を迫る、そんな嫌なご時世になってきた。日本人全体の品格に賎しさが膨れている。