「無」

 小学高学年の時、学年末にK担任が別れのメッセージを語りながら黒板に「無」と書いた。話の内容は難しすぎたが、白墨で書いた「無」という文字は不気味に記憶された。底のない闇の空間を降下していくイメージ。それを今朝、思い出した。
 
 「西田幾多郎の哲学 西洋と異なる思想 今こそ」と、佐伯啓思・京大名誉教授が今朝の朝日「異端のススメ」で述べている。西田は日本の思想や感覚を前提とした「日本の」哲学を生み出そうとした「日本で唯一の哲学者」であると語っている。
 
 西田は「無」という観念を中心に独特の哲学を構築した。西洋の「有の論理」に対して日本の論理を「無の論理」と呼んだ。佐伯の指摘、「哲学は人生の深い悲哀に始まる。そのことと、自我を無化し滅却する、という西田哲学は無関係ではない」。
 
 若いK先生が黒板に書いた「無」という文字は、西田哲学の影響を受けていたかもしれない。当時、若者が哲学書を読み、議論するのが流行った。もっと易しく話されたら少しは理解できたかもしれない。哲学と現実はなかなかかみ合わない。
 
 佐伯は「西洋の思想や科学が作り出したグローバル世界は絶望的限界に突き進んでいる。西洋発近代主義は極限まできている」と看破。著書でも繰り返している。「今日、改めて西田のような志が求められているのではないだろうか」と結ぶ。