セピア色の写真

 昨日お昼に娘あてに誕生日お祝いメールを送り、そのあと札幌の妹に体調の近況報告メールを出した。いずれも玄関脇の紫陽花とカンパニュラ(釣鐘草)を撮って「花メール」風にした。構図が難しかったが、素人なので仕方ない。妹からは折り返し「Aちゃんもいい年齢なったのね」と返信があった。
 
 今朝まだ眠っていた6時過ぎにメール音で起こされた。娘からの長いメールで何回も読んだ。いそがしくやっているようだ。今年は誕生日に坂戸に行かれなかったこと、家族の最近の様子、わたしへの体調維持を気遣う文章は歯切れの良いものだった。体調も良さそうだ。子離れの時期に入る。
 
 こうも書いてきた。「わたしがTくん(夫)と初めて自宅(わが家)に行った時、父・母は今の自分たちぐらいの年齢だったはず。時間の流れに驚いている」。その後、長い婚約期間を経て結婚式を挙げた。最近会うたびに感じるが、大人になった娘の意見にはただ従うのみだ。次回来たらみんなで食事をしよう。
 
 そしたら自分の父と母のことを思い出した。今日は母の月命日だ。若い父と母が笑いながら二人でお汁粉の団子をこねている写真があった。母の仲良し従妹が遊びに来た時に、夫のMさんが写したものだ。当時、国鉄に勤めていたMさんの趣味はカメラだった。セピア色になった写真は実家か、札幌の妹のところにある。
 
 このMさん夫婦に子供はいなかったが、親戚の子供たちを可愛がってくれた。わが家には当時としては数多く、われわれ四人兄妹の写真が残っている。そんなことを思いながら、時代の流れと人のつながりをなぞっていた。写真は過去一瞬の断面だが、記憶は柔らかな情景として甦ってくる。