ソニービル来年解体

 銀座・ソニービルは自分のランドスケープ(人生景色)でもあった。仕事、遊び、食べるの重要拠点だった。そのビルが50年の歴史に幕を引く。読売・経済面が大きく報じている。来年3月末でいったん終了、解体後、18年夏から東京五輪が終わる20年夏まで、跡地はライブなどができる公園として開放される。その後、新ビルが建てられ、22年秋から再開される。
 
1966年4月、ソニー創業者の盛田昭夫社長が日本から世界への情報発信基地とし建て、数寄屋橋交差点のシンボルとしてスタートした。とくにPR業界にとってソニービルは『聖地』であった。数え切れないほどのイベントやキャンペーンがこのビルを舞台に実施された。ファッション、文化、ミスコン、プレゼントなど行けば必ず催しが行われていた。
 
PRマンとしてよく足を運んだ。当時、会社が新橋だったので、「外出してきます」と言ってはソニービルに出かけた。東京の最先端がソニービルにあった時代だった。そのうえに顧客の日本専売公社(現・JT)の「銀座たばこサービスセンター」がここににあり、珍しい外国たばこの陳列・販売が行われていた。新商品のテスト販売も行われ、全国から愛煙家、洋モク好きの客が来た。
 
とにかく粋な大人たちやファッショナブルな若者らでビル館内は賑わっていた。時代もそうだったが、このビルはとくにウキウキドキドキの穴場だった。当時、友人との待ち合わせは「ソニービルで」が決まり文句になっていた。(いまは銀座4丁目の日産ギャラリーだけど)。ソニーの陥落は日本経済没落の嚆矢となった。ソニーの復活を強く願う。もちろん新たな勇姿だ。