「ら抜きことば」

 「ら抜きことば」を使う人が多数派になった、マスコミが大きく報じている。さいきんでは「出れる」、「見れる」がふつうになった感じだ。自分も以前は相手のそんな言い方に反応していたが、いまは聞き流す。若者言葉に比べたら、まだマシである。
 
 書くことが大きな要素の仕事をしてきたので、「ら抜きことば」はきつく戒められた。先輩たちは新聞や雑誌から来た人たちなので、厳しくチェックされた。今でも書くときは「ら有り」or「ら入り」を心がけているが、意識して抜くときも稀にある。
 
 いまどきの若者は言葉ではなく、記号でやりとりしている。極く狭い世界にとどまり続け、略語や記号でコミュニケーションをとっているつもりなのだ。言葉が思考を生むとすれば、末恐ろしい。我々夫婦も言葉共有はなく、「意味不明」と断罪される。