Tさんの「南三陸町語り部ツアー」

「先日、南三陸町語り部ツアーに行ってきた」Tさんからくわしく話を聞いた。JR東日本の主催ツアーで、被災したこの町のホテル従業員が参加者を案内しながら当時の模様を伝える。一度復興状況を見にいきたかったTさんは現地で見て聞いて、失望して戻った。
 
南三陸町・防災庁舎の大津波被災の悲劇は、マスコミでも多く紹介された。町民に最後まで救助の避難を呼びかけ続けて、そのまま亡くなった女性職員の話や、屋上に避難した人たちがアンテナに捕まった少数の人を除いて30mもの津波に巻き込まれた惨状などだ。
 
Tさんは復興現場を見てきて、「巨額の無駄な工事が長々続いている」とめずらしく感情的に話した。町全体が高い盛り土でかさ上げされ、海岸沿いに巨大な防波壁がそそり立つ。町民はいまだ元の場所で暮らすことはできず、コンクリートの壁で「海が見えない危険に不安を抱く」。
 
わたしの興味は南三陸町の惨状もあったが、なぜTさんがいま被災地を見に行ったのかという点だった。その答えは「5年も経つのにいまだ進まない復興とはどんなものなのか、をじかに見て、じかに聞くことだった」、「新たな場所に行けば自分の世界が広がるから」。
 
この言葉はTさんの会話の中にときどき出てくる。中国・西安での日本語学校教師や中国語上達のための留学、日本での外国人研修生への日本語指導などつねに道を切り開いてきた。日本全国にいるかつて自分が教えた生徒たちとあちこち旅行する。現役のActive70歳だ。
 
昨日、彼は「花を買った」と話したが、理由はいわなかった。夜になってから気づいた。三年前に亡くなった奥さまの命日が9月25日だった。そのことを心に秘めていたのだ。それで花を買い、被災地に足を運んで自分の何かを確認しようとしているのだと思った。