「ボブ・ディランは青春と一緒だった」

ボブ・ディランノーベル文学賞」、とっさにギターを弾いているHくんのイメージが浮かんだ。学生時代から彼はいつもボブ・ディランを静かに歌っていた。50年前のことだ。それで、「ボブ・ディランについてなんか書いてほしい」と電話で頼んだ。
 
Hくんからきたメール(要旨):

村上春樹が毎年取りざたされていたので驚きましたが、夜のニュースで今時の若者がディランを知らないことに当然なのかな~と気が付きもしました。ジョン・レノンが生きていれば早く受賞していたでしょう。ディランは75才、彼のコメントがないのも今更かもしれませんよ。
 
いろいろな人のコメント、どれももっともです。でも今思ってみるとディランは私たちの青春と一緒でした。K君・O君・S子嬢・H君・I夫妻その他周りに集った仲間たちと一緒の中に彼の詞が息づいていたのです。音楽と共に、大江健三郎が受賞した年齢を考えて、ディランが今年受賞するのをあまり喜んで祝う気持ちは起こりません。今のアメリカの状態を思うと、ヨーロッパの切なる期待なのかなとも。
 
図書館の在庫をさっそく調べたら彼のCDはすべて借りられ済み。娘の話によればTSUTAYAにはまだ沢山レンタルCDの在庫があったとか。今の若者ははたしてディランの言葉や音楽を聞くのだろうか、そんな疑問を持ってしまいます】
 
お気に入りのTさんのブログには「ぜひ、ボブ・ディランポール・サイモンノーベル文学賞を受賞してもらいたい、と思っていた。ついにボブ・ディラン。きたね。今夜は酒が美味い」。あの当時、それぞれが自分の“神なる詩人”を仰いでいた。
 
69歳の今もまだ、“How many roads must a man walk down…”(どれだけ行ったら一人前の男と呼ばれるのか?)、19歳の自分の不安な魂を抱えたままだ。