「しんせかい」

昨日、芥川賞受賞作「しんせかい」(山下澄人)を読んだ。「文藝春秋」3月号で確認したい記事があって買ったついでに読み始めた。20ページほど読んでも心が乗ってこない。止めようかとも思ったが、とりあえず続行。結局、読み終えた。
 
が、スルリンチョ~と始まって終わったので、感激もストレスも起きなかった。ただ、「そうなの、」との感想だけ。作者は自我が強いことを示そうとしているのと、「先生」が怖かったことを描いている。iphoneで書くらしいが、そんな文章だ。
 
一つひとつの言葉に意思が見えない文章だ。そんなはずはないのだろうが、止まると跳ねるがまったくない。高校卒業文集でFくんが「朝起きて顔を洗った。ごはんとたくあんを食った。学校に行った」と書いて、凄いなあと思ったのと同類。
 
もちろん作家だから手紙を構成上のアヤに使ったり、時間軸をシャッフルしたりしているが、それもなんだか意図が感じられない。先日NHK「プロフェッショナル」に倉本聰が出て、自らの生き方を語っていたが、妙に力が入りすぎていた。
 
「しんせかい」は主人公が富良野塾に入り、出るまで仲間と暮らした悲喜を書いた小説だ。テレビで倉本「先生」を観ていたからか、少しだけ主人公の緊張や不安や悪意の影に同意した。ただ、ワルを気取る癖には反感をもつ。