焼石と擦(す)りジャガイモ

 中国かベトナムでリアカーに荷物を載せて移動する場面のニュースが流れていた。50~60年前の日本の田舎風景に重なった。わたしが生まれた積丹半島の港町でも、当時、リアカーは必需品で一軒に一台はあった。魚・漁具の運搬で大きな役割を果たした。
 小学4年の夏、わが家から100メートルの前浜で泳いで、水から上がったら突然ガーンと衝撃を受けた。火を焚いたあとの熱い石を踏んでしまったのだ。ナタで切られるような痺れが全身を貫き、とっさに再び海水に入り右足を浸けた。塩水による激痛で再度飛び上がった。
 水の浅い所にそのまま2時間近く立っていたが、足裏の差し込む熱さはむしろ強まってきた。弟に家に行って誰かに伝えるよう頼んだら、彼はリアカーを引いて戻ってきた。「ババ(祖母)が載せてこいって。海から上がれ」。足を水から抜いたら死ぬほど痛んだ。
 祖母はすり鉢を構えて待っていた。ジャガイモを凄い速さで擦りはじめた。「足を出せ、これが一番火傷に効くんだから」と言い、擦り込んだゾル状のジャガイモを袋に詰めて足裏に当てた。10分おきに7、8回取り替えた。先人の熱とりの知恵だった。
 翌朝、痛みは少し残っていたが、靴を履いて学校に行った。足の裏に火傷のあとは残らなかった。いまこれを書きながら、弟の引くリアカーの上で半分声をあげて泣いていた自分の姿がはっきり見える。リアカーは3年生の弟が引いてくれた“救急車”だったのだ。