年越し蕎麦

 今ごろ二人の妹が小樽で待ち合わせ買い物をしてるだろう。明日は母の命日。寒波来襲で札幌も積丹も天候がいちじるしく悪い。それぞれの住む町から中間の小樽市で会い、必要な花や果物を買う。お昼はたぶん駅前ビル地下の蕎麦屋だ。
 もともと母が好きだったお蕎麦屋さんでゆったりできる。性格の少し違う姉妹が何時間か過ごし、お互いを確認しあって帰路につく。そんな穏やかな一日であってほしい。昨日札幌の妹から「お兄さんの分、大きい梨2個、864円でした」の連絡。
 「母危篤」、年末を迎えて多忙なこの時期に弟から電話。25年前のこと。夜10時過ぎで入院している小樽の病院には駆けつけることができない。翌朝、始発電車に乗るため駅に急いだ。オリオン座の下を家族4人で冷気のなか半駆けした。
 飛行機が新千歳空港に着いて長い通路を急いでいたら、向こう側から高校同級生の札幌・Kくんが「カズオ、どうした?」。彼はこれから東京出張だという。短く伝えてJRに乗り込んだ。電話したら「母はもう家に戻っている」。体がいっきょに脱落した。
 そんなことを思い出した。Kくん、Mくんはじめ41会(余市高校同級生)の友人たちが励ましてくれた。葬儀の場面は脳裏にはっきりと映っている。来週、取手のK君が来てくれる。浦和のMくんと三人で担任・A先生の話をしながら年越し蕎麦を食う。