「花椿」&「POPEYE」・「anan」

糸井重里「ほぼ日」、きょうの“エッセー”に肯(うなず)いた。「妄想のなかで入りたかった会社はありました。資生堂PR誌『花椿』の編集部とマガジンハウスの『POPEYE』や『anan』の編集部でした」。けっきょくフリーのコピーライターに。
当時の資生堂は企業広報の雄。企業文化路線を標榜していて、PR会社に入りたての小生には“天空の城”だった。社内若手勉強会のケーススタディとして何回も取り上げられた。今でいうCSRの概念を具体化しようとしていた。
とくにPR誌「花椿」はその嚆矢として高く評価され、資生堂のイメージアップにおおきく貢献していた。モノからコトへの時代の流れを先導する優れたPRツールだった。何回か同社を訪問して、具体的取り組みを取材したものだ。
マガジンハウスの『POPEYE』や『anan』はあたかも実験マガジンの様相。若者や女性の憧れが誌面にあふれていた。M先生の紹介で3人の編集部員に挨拶した。時間があれば編集部に行き、その新しい企画の話を聞いた。
実はこれら訪問のかなりは空振りだった。資生堂もマガジンハウスも多忙で、5,6回に1回ぐらいしか会ってもらえなかった。それでも通った。編集部の空気が波打っていた。それからは顧客のホットニュース素材を準備して訪問した。