東日本大震災7年

東日本大震災(2011・3・11)から一年後の3月からこのブログを書いてきた。当日の自分の行動はメモに簡潔に記してあるだけだ。治療のため病院で準備をして、いざ穿刺というときに一撃がきた。さらに地底から大きな突き上げが続いた。
 
40人近い患者が不安の声をあげ始めたとき、いつもはおとなしい看護師長が宣告した。「落ち着いてください。スタッフの指示に従ってください。大丈夫です、準備はできています」。スタッフは各患者に応急セットを配置した。避難に備えた。
 
ベットに仰向けになり安全確認して治療を受けた。その後つぎつぎと現地の映像がテレビ画面に流れた。しだいに信じられない場面が映された。巨大津波が港、街、人々をいっきに飲み込んでいった。見たくない光景だった。
 
あれから7年後の昨日、同じような映像が各局で流され続けた。復興優先の言葉と数字の蔭で被災者の皆さんの悲痛な声が忍び漏れてくる。東北の人たちはなんと奥ゆかしいのか。まだ「がんばっぺ」を旗印に張り切る姿に胸が痛くなった。
 
札幌の妹は早い時期に学生を連れて岩手・山元町に入り、家人は福島・いわきの老人介護施設を訪問した話が出た。二人とも気になったのが、現地の声の緊張した明るさだという。深淵の嘆きを吐き出し、心から安心させたい。