映画「北のカナリアたち」

 きのう夕方、吉永小百合主演「北のカナリアたち」をビデオで観た。離島の教師と6人の子どもたちの生きる模様が描かれている。若手の演技派俳優が一人ひとりの生徒の個性を表現している。生き様でなく生きる模様としたのは、この映画が希望の中で終わるからだ。
 
 礼文島利尻岳の場面が多く出てきて、父親の見ていた風景なのだと見入っていた。漁に出ると、荒天時の避難港が利尻島礼文島であった。さらに父が事故死したのは礼文島沖合にある武蔵堆という漁場である。奇しくも昨17日は父の月命日だった。波打ち際の浜の風景。
 
 礼文島高山植物をいつか子どもたちに見せたいと父は言っていた。5年ほど前に二人の妹が島で父に花束をささげてきた。わたし自身は未だ行ったことがない。それだけに礼文、利尻の風景に思いを重ねることがある。52歳で亡くなった父が見ていたもの。映画を通して少しだけ知ることができた。
 
 今回の弟・妹三人でのわが家への旅は北海道の大暴雪のなか予定通り来られた。帰宅後、妹から「父さん、母さんが守ってくれた」とメールが入った。兄妹四人は再会して「歌を忘れたカナリア」は歌わなかったが、お互いに笑いながら手を交わした。「思い出深い旅になったなぁ!」。
 
 「生きている」ことの大事さを伝えた映画「北のカナリアたち」を観て珍しく眼から一筋垂れたものがあった。湊かなえ原作の映画化だが、彼女らしい展開だと思う。いま公開中の「『北の桜守』、吉永さんはきれい」と札幌・妹のメール。今日から彼岸の入り。供養塔の掃除に忙しい積丹・妹の姿が見える。21日は父の誕生日。