「突貫紀行」

 北海道・積丹町からの魚クール便が昨夜届いた。開けると半分に折った北海道新聞(4月29日付)がビニール袋に入っていた。「日曜Navi」版で「本を旅する 余市」のタイトル。幸田露伴の「突貫紀行」から次の文章が抜き出されている。
 
 『未来に楽しき到着点の認めらるゝなく、目前に痛き刺激物あり、欲あれども銭なく、望みあれども縁遠し、よし突貫して此の逆境を出でむと決したり』

  幸田は明治18年に電信技師として余市町に赴任した。その二年少し後に文学を志し、官職を捨て実家のある東京に戻る。その道中日記が「突貫紀行」だ。
 
 記事は露伴の紹介にとどまらず、余市町が最近「“幸福運”授かる名所めぐりの町(よい地)」として余市神社からスタートするスタンプラリーで人気とある。幸田露伴の「幸」、福原漁場の「福」、運上家の「運」などの文化財めぐりだそうだ。
 
 きのう昼に読んだ朝日新聞be版の記事をもう一度手に取った。「幸田露伴の突貫の道(福島県二本松市)」のタイトル。行き倒れ寸前、雅号の一句が「里遠しいざつゆとねん草枕」。この句から雅号を『露伴』と決めた。そう書いてあった。
 
 偶然重なった幸田露伴の記事。道新と朝日の発行はひと月余りも違うのに、昨夜たまたま、小生の読むところとなった。妹にありがとう。これでは近く幸田露伴「突貫紀行」を読まざるを得まい。