「最期の顔写真」

 昨年夏に退院したとき「写真を撮っておかねば」と感じた。葬儀で使われる写真だ。衰弱していたせいもあるが、以前から薄々頭にはあった。それがそのときの入院ではっきり決断した。これからはいつ何がおきても不思議でないのだ。
 
家人に事務的に話したら「使う写真を自分で決めておいてね」と事務的に述べた。そうか自分で決めるのか、と思った。先日友人のTさんに玄関前で写してもらった。5枚の写真データが届いた。「にこり、と」とTさんが言ったけど、笑顔になれず。
 
目と口の周りが少しゆがんだだけだった。う、うーむ?! いつも鏡で見ている顔とちがった。家人は「そんなに良く写ることを期待していたの?」と笑いながら突っ込んだ。鏡に映る顔と写真に写る顔は違うことを発見した。「撮り直してもらう?」
 
 「いいや、この顔を使う」と明言した。いま体調はそれなりに落ち着いている。良い時に撮らなければまたチャンスを失う。期待していた笑みのこぼれる顔写真とはならなかったがベスト状態での撮影だった。丁寧にフォトギャラリーに保存した。