生きる“希望”

 日曜日この時間、教会での礼拝に合わせて、A牧師の説教原稿を読んでいる。前日届く高島平キリスト教会の週報とともに、自らの一週間の“指針”になる。現在体調不備のため欠席続きなので、牧師が説教内容を送ってくれる。
 
 この貴重でありがたい説教のプレゼントはすでに2年余になる。毎週つづけることがどんなに容易でないか、頭が下がる。今朝は「ステファノの証」{使徒言行録6:8~15}だ。ステファノという人物も大きな役割を果たす。パウロの回心。
 
 弱い自らの心身にA牧師の説教は“希望”である。「いつも喜び、祈り、感謝しなさい」。この言葉も日常の暮らしの中で忘れやすくなる。しかし、自分に残されているのは、その希望にしがみついていくしかない。今回の入院で考えたことの核心。