70年大阪万博と女性活躍

 2025年大阪万博が決まった。1970年大阪万博は札幌にいて観ていない。テレビで会場にあふれる熱気を想像していた。71年に北海道から上京・就職した大手国際PR会社には万博の余韻が残っていた。万博関係者が幅を利かせていた。
 
 最初の上司もその一人で、ビジネスウーマンだった。彼女はAE(クライアント担当責任者)でホテルの広報を展開していた。社員の半数近くが女性で、AEなど重要な役職についていた。会社は海外拠点をもち、社風・文化はほぼ外資系。
 
 彼女たちは万博本部や各国パビリオンの広報担当やディレクターを務めた。プライドを持ってビジネスに当たっていた。これまで見たことがない国際センスで勝負していた。男性社員も東京五輪大阪万博関係者がいた。ユニーク連中。
 
 47年前すでに女性の活躍が行われていた。彼女たちは大手広告会社に引き抜かれたり、創業した。わたしが独立したときに協力し合ったり、ネットワークを組んだ。彼女たちの見方、センスを学んだ。その意味で万博に感謝している。