寒花(かんか=雪)

 窓の外で静かに降りしきる雪を“寒花(かんか)”と呼ぶと知った。文学座が新宿で公演中だと記事にある。印象が寂しくて自分の言葉には入れないだろう。そう思った。いくつの場面が浮かんだが、それはあまり口に出さないほうが良いかも。
 
 そもそも雪自体が寂しく悲しい。子どものころはなにも考えなかったが、高校時代からそう感じた。中央バスで余市までは海沿いの一本道路だった。磯辺から水平線の向こうまで限りなく雪は降っていた。それを悲しい眼で見ていた。
 
 その年齢で多くの人が対峙する“孤独”の始まりだった。トンネルに入ればバスの窓にもう一人の自分のゆがんだ顔が薄く映っていた。その時間はすべてが嫌いではなかった。バス窓から見える光景は石ころ一つ、岩肌一つ見逃さなかった。
 
 きょうは全国が晴れている。積丹半島にも早春の兆しが訪れているだろう。海の色は明るく、空の色は輝いて、人々は笑い始める。ささいな冗談で温かく肯(うなず)く。三月はそんな暖気を運んでくる。バスの中にいるかつての自分にも。