鯉幟が記憶を連鎖した

 「さぁ、写真撮るよ。Kちゃん(札幌の妹)に送ったら」、新聞を声を出して読んでいたら、家人に景気つけられた。「メガネかけたほうがいいかな?」、「好きなように」。今朝も揚っている二階の鯉幟(こいのぼり)をバックに撮影する。「寄って撮って」。
 
 アップした顔が笑おうとして歪んでいる。「顔の位置が曲がっているよ」、矯正された。頭だけでなく体全体が曲がってきた。妹に送った。「すごいアップですね!!」。「鯉のぼり、季節感じます。この周りはマンションが多いので見かけない」。
 
 「隣家の祖父(ジジ)が内孫のKくんの鯉幟を上げていたのを思い出しました」。ジジは母の父親で体が大きく口数の少ない老人だった。小学生時代に自分はジジ、ババの側を離れずに育った。母の弟妹たちが知らない世界を広げてくれた。
 
 昨夜TOKIOの番組で、「鯉のぼり」とは鯉が産卵するため川上りする調査をやっていた。神田川に沿って上った。飯田橋近辺は事務所を置いた場所なので懐かしかった。お腹の大きな鯉はさらに上流の高井戸あたりで産卵した。
 
 孫の鯉幟がみんなの思い出を少しずつ繋いでいった。三匹の鯉幟が我が家の川の流れを静かに泳ぎ続けている。けさの一枚の写真が触媒になって思い出を連鎖した。この晴天続きに鯉幟は今年の務めを終える。きょうは立夏