花見=カーニバル!!

桜が満開である。昔、尊敬していた人から「桜には皆はしゃぎ過ぎだ」と窘められたことがあり、いまでも桜を観るたびにその顔を思い出す。厳寒の長い冬をくぐって今を迎えたのだから、喜び以外の何ものでもない。毎年、上野公園で会社の花見が行われ、入社数年間は午後の早い時間から「場所取り」に行かされた。先輩たちが来る頃にはすっかり出来上がっていたが、「良い場所だ、よくやった」と褒められ、また飲まされた。帰りはフラフラになって公園の石段を下りた記憶がある。昨夜のTVニュースには、花冷えが厳しいので、コートはもちろんマフラーまで巻いてビールを飲むオジさんたちが写っていた。
 
今朝の毎日「余録」には、こうある――花見といえば「ご趣向は?」と聞くぐらい、手の込んだ茶番や装束に工夫がこらされた江戸の花見なのだ▲飛鳥山向島に桜を植えたのは八代将軍・吉宗だが、彼は城の御坊主らに酒肴を与えて花見に行かせ、誰彼構わずに振る舞わせたという。人々は葵(あおい)の御紋入りの酒器での振る舞いに驚き、いぶかしんだ。(三田村)鳶魚が御坊主の話として伝えている将軍家の「ご趣向」だ▲ともあれ花見が余興や仮装をともなう人々の祝祭の場になったのは吉宗の時代以降のようだ。明治になって来日した外国人がこれを「カーニバル」と評したのもよく分かる。
 
実は、昨日昼前に息子から「桜行くけど、どう?」と声がかかった。地元で有名な慈眼寺のしだれ桜をみにいくと言う。もちろん一緒に行った。実際に見るのは初めてである。想像していたよりも大きな樹でさすがに存在感がある。その艶やかさに暫し見とれた(関連サイト)。案内板によれば樹齢200年だが、webでみたら250年以上と書いてある。しだれ桜を「枝垂れ桜」と書くことを初めて知った。三味線の実演が行われ、焼きソバや味噌おでんなどが売られていた。同世代かそれ以上の人たちが嬉しそうに動き回って世話を焼いていた。駐車場料金は200円で「保存のために使われる」と看板が出ていた。やはり花見=「お祭り」だと確信した。