東京駅復元&芦原先生

読売新聞社会面に「東京駅の顔、復活間近」の記事が出ている。外観が見えるようになった同駅丸の内駅舎のヘリから撮った写真の構図が効いている。
記事には「駅舎内の人気ホテル『東京ステーションホテル』が10月3日に新装オープンすることが決まり、5月8日から宿泊予約する。1915年開業。松本清張「点と線」の構想を練った場としても知られる。客室は6種類前150室で、3階中央部の『ロイヤルスィート』(173平方㍍)は、一泊80万8500円というぜいたくさだ」とある。

·   「産経抄」4/3付を思い出した―。「春本番の日差しに誘われて、きのうは丸の内界隈を散歩した。お目当てはもちろん、外観復元工事がほぼ完成したJR東京駅丸の内駅舎である。大正3(1914)年に完成したとき、赤レンガを積み上げた全長335メートルの巨大建築に、人々は度肝を抜かれたはずだ。▼98年後の今、似たり寄ったりの高層ビルが乱立するなか、3階建ての威風堂々とした姿にはやはり圧倒される。設計に当たった辰野金吾は、アムステルダム駅をモデルにした、との誤った説が長らく信じられてきた。実際は、まったく似ていないらしい。▼では、日本の近代建築の祖と称される辰野は、何をモチーフにしたのか。建築家の藤森照信さんによれば、ずばり「横綱の土俵入り」だ(『建築探偵の冒険』ちくま文庫)。『大銀杏(おおいちょう)のような派手な屋根、両手をいっぱいにはり広げググッと腰を割った低い姿勢、クイッとアゴをあげ皇居を見据える中央玄関』・・・」東京駅丸の内駅舎保存・復原工事及び八重洲口開発第2期工事について

 かつてこのホテルの喫茶室やバーが好きな先輩がいて、若い頃によく連れてこられた。最初は優雅に飲みながら話しているが、一時間もすると自らの文学論に陶酔して次第に声を張り上げた。この人にも嫌というほど文章は直された。何回も何回もそんなことが続くので、自分の未熟さは棚に上げて「殺してやる!」と胸底で低くほざいたものだ。バーにはさまざまな人たちの会話や激論が飛び交い、タバコと酒の匂いがくすんでいた。新たにできるだろうティーラウンジやバーにはそんな昔の空気は見たくても無理だろう。
 
高校時代の担任だった芦原先生が上京すると、待ち合わせは東京駅丸の内側の「ステーション・ギャラリー」であった。「わたしは絵を見ているから、君は仕事が終わってから来なさい」と電話で言われた。仕事先が大手町に多かったので、「外出/プレスコンタクト」と上司に告げて、急いで先生の顔を見に行った。通信社にいたK君も必ずやってきた。先生は「このあと横浜にいる娘のところに行くのでね・・・」と話し始め、クラス一人ひとりの消息を聞いて頷いていた。いまや貴方の教え子たちは定年を迎えて、心から「Qちゃん、ありがとう!!」との気持ちでいっぱいです。