「羊」の字と渡来人

読売23面に「日本史を歩く」というコラムがあり、『多胡碑・群馬県高崎市』を取り上げている。
 
「注目されるのが碑文にある『羊』の文字。方位や略字との説もあるが、郡司に起用された人物名とみるのが有力という。地元では、奈良の都との間を1日で往復したと『羊太夫伝説』が残り、『ひつじさま』として崇敬される。だが文献には見当たらない。何者なのか。市教委の若狭徹係長は周辺の古墳時代の遺跡から、朝鮮半島系の土器や馬具、遺構などが多く出土している点を指摘。『早くから外来文化を摂取していた地域なので、《羊》も渡来系の人物だったのは』と語る」
「『多胡』は多くの渡来人の意味との説もある。当時の日本にいなかった動物「羊」は、地域を象徴する名前なのかもしれない」
 
 
埼玉から群馬にかけた一帯には、紀元700年頃の遺跡が多い。たとえば、秩父の和同開珎、日高の高麗神社、東松山から吉見あたりの遺跡、そして、高崎の多胡碑などだ。早い時期からこの地域に入り、かなり高い文化水準をもって人々が生活していたところなのだ。
 
中国には「羊氏」は古い時代から存在し、シルクロードと関連しているとの説もある。「遊牧民」説である。こうなってくると後は如何様にも想像して楽しむことができる。大昔、東西文化の橋渡しを担ったのではないか??そして、それらの高い文化が入ってきて日本の本格的な歴史が始まっていった?!
 
 二か月に一回、ふじみ野市の知人宅で開かれる勉強会に出席している。「日本人とは何か、その特質は何か」と、70代・80代のメンバー10名強で議論が交わされている。元大学教授、官僚OB、彫刻家、元外資系ビジネスマンなど多彩な集まりだ。小生がもっとも若いが、小父さんたちの方が数倍元気で、勉強も良くしている。刺激を受けに参加している。