「たのしみは」
今朝の読売「編集手帳」は、「旅先でひねる五七五」をテーマに書いている。
金子光晴のブリュッセル紀行文から〈盛り場にいても、羽目を外した少女のいじらしい悔恨のような、動機の音がききとれるほど、しずかな街の気配である〉を引用し、「この街にある日本の欧州連合(EU)代表部に『観光俳句ポスト』が設置された◆俳人正岡子規の出身地・松山市が市の内外に設けているポストには、誰でも自作の俳句を投函できる。ここが103か所目で、海外では初めてという。〈果樹園に再び満つる花を愛で〉。俳句愛好家のヘルマン・ファンロンパイ氏(EU大統領)が投函した句の日本語訳である。震災の復興にも祈りをこめてくれたのだろう◆病床の子規は旅をする夢を歌にしている。〈足立たば北インヂアのヒマラヤのエヴエレストなる雪食はましを〉◆きょうから大型連休が始まる。旅は人を詩人にするという」と綴っている。
これを読んでいて、おととい友人から聞いた橘曙覧(たちばなのあけみ)を思い浮かべていた。この幕末の歌人が「たのしみは」を頭に置いて詠んだ「 独楽吟(どくらくぎん)」と称する五十二首である。福井城下の町はずれに住んだ曙覧の独自の歌風は、正岡子規が「万葉集に学びながら、万葉調を脱している。源実朝以後、ただ一人の歌人」と絶賛した。