金子みすゞと仙崎

   今朝の朝ドラ「梅ちゃん先生」の始めの方で、戦後の引揚者の映像が出て、学生たちもお世話をした部分があった。とっさに、仙崎(現・長門市)の小さな街を思い出した。舞鶴、博多、佐世保などが知られているが、山口県の仙崎港にも引き揚げ船で多くの人々が帰国した。
 
   20年近くも前になるが、その一人であった知り合いのおばあさんから茶飲み話で聞いたことがある。幼い子どもたちを一人は背負い、二人は離れないように手を紐で結んだという。同時に持てるだけの重い荷物を抱えながら、夜中に大群の人々に混ざって港から仙崎駅まで歩いたそうだ。
 
その少し前に、自分は医薬品会社のPR誌の取材で金子みすゞの故郷である仙崎を訪ねていた。地元の医師で郷土歴史家のAさん夫妻が、前年に引き揚げ記念行事が行われたという仙崎港や王子山公園、青海島(おうみじま)などを案内してくれた。奥様が金子みすゞの詩をほとんど諳んじているほどで、中身の濃い取材ができた。
 
王子山公園から見下ろす仙崎の町はやや暗い色の古い建物が多く、深い日本海に直接突き出た形になっている。こうしたすべてが「金子みすゞの世界」(金子みすゞ仙崎)であった。昨年の東日本大震災後に何回目かの「みすゞ」ブームが起き、テレビでは連日ACCM「こだまでしょうか・・・」が繰り返し放映された。そして、そのあと、金子みすゞ関連の出版物が新聞広告に溢れていた。
 
   確かに、現在でも金子みすゞは依然としてブームなのだ。自分は金子みすゞの詩は読むたびに怖いと感じる。常人の枠から明らかにはみ出したところがいくつも見られる。その精神世界は仙崎の海と街の暗さが投影しているのではないかと、現地で感じていたことを思い出す。CM「こだまでしょうか・・・」は今は放映されていない。