ライバルの死

  読売「編集手帳」は、北島康介選手がツイッターで語った「涙がとまらないよ」を軸に、ライバルの死を取り上げている。大鵬は「柏戸関あっての自分だから」と北海道の実家に柏戸の写真を飾った。柏戸の通夜で「おい、起きろよ」と故人を揺さぶったという。
 
 詩人の西条八十が亡くなったとき、堀口大学は霊前に〈はたちの日よきライバルを君に得て自ら当てし鞭(むち)いたかりき〉の一首を供えた。「互いが互いの鞭であった間柄にしか分からない悲しみというものがある」――こうコラムは結んでいる。
 
 自分もここ5年間に二人の「ライバル」を癌で失った。一人はかつて記事を書いていた経営新聞の編集長・S氏(小樽出身)であり、もう一人は経済ジャーナリスト・A氏(美唄出身)である。ともに30歳前後の少年兵時代からの盟友であり、ライバルであった。S氏とは連載企画を巡ってさまざまな議論を戦わせ、A氏にはお互いの情報から何が書けるかと激しく意見を交わした。最後は、決まって行きつけの小さな飲み屋で朝まで夢を語りあった。
 
 深夜、酒が芯まで回ってから始まるS氏のフラメンコギターは鬼気迫るものがあった。彼は学生時代にマンドリンクラブに属しており、リーダーを務めていたことを後で知った。最後の5年間に交わした彼の手紙には生きることと死ぬことの微妙な交錯が現れていた。それでいて、文末ではすでに体調を崩していた自分に励ましの言葉を丁寧に重ねてくれた。
 
 A氏はほぼ突然という形で亡くなった。その報を聞いて、自分は長い時間、空(くう)をみていた。酔うほどに鋭くなる彼一流の舌鋒は、受け損なうと怪我をするほどであった。それでも彼の魅力に取りつかれていた。彼の無欲さを多くの大物経営者が支持していた。真夜中にカラオケでジュリーの「勝手にしやがれ」を繰り返し絶叫していた姿が目に浮かぶ。
 
 二人の通夜にも葬儀にも自分は弱っていて出席できなかった。しかし、いつか元気になって必ず御礼に行くことを心に決めてきた。元気が戻ってきたので、その日は近いはずだ。