司馬遼太郎「空海の風景」

昨日の朝日・読書面「思い出す本忘れない本」に画家・安野光雅氏が司馬遼太郎坂の上の雲」を取り上げている。次のような部分があった。―ある時、司馬さんに「自分の作品でどれが好きですか」と聞くと、「まあ、『空海の風景』かな」と言われました。わたしは『坂の上の雲』です、と言うと、司馬さんの感想は複雑そうでした―。
 
自分も「空海の風景」は好きで、司馬作品から選べといわれたら「燃えよ剣」と「空海の風景」を挙げる。前者は新選組副長土方歳三の生涯を描き、歴史に翻弄されながらも一つの美学をもって滅びゆく。後者は、秀才=最澄との対照によって、天才=空海の計り知れない人間像を浮き彫りにしている。これまで3回丁寧に読んだ。うち2回は入院中にである。読むと元気になる。
 
中公文庫の解説で大岡信は、「いったい司馬遼太郎以外のどんな作家が、空海を主人公とした『小説』を書くことを夢想し、かつ実現し得ただろうか。伝記とも評伝ともよばれうる要素を根底に置いているがゆえに、平安初期時代史でもあれば、密教とは何かに関する異色の入門書でもあり、最澄空海の交渉を通じて語られた顕密二教の論でもあり、またインド思想・中国思想・日本思想の、空海という鏡に映ったパノラマでもあり、中国文明と日本との交渉史の活写でもあるという性格のものになった」と評している。(大岡らしくないベタな表現でガッカリ!
 
松本健一は「司馬が『空海の風景』を構想したのは、『坂の上の雲』の連載が始まるころである。その連載が終わった直後に、『空海の風景』は書き始められた。『坂の上の雲』はある意味で日露戦争史であり、事実関係をおろそかにできない。そんなとき、司馬が『弘法大師全集』を開くと、その四六駢儷(べんれい)体の漢文のリズムは、かれに何も考えなくてもいい、みずからの一切を任せよ、と語っているように思えた。かれはそこに展開する美しい文章の風景に酔っていればよかった」旨のことを述べている。(「司馬遼太郎を読む」・新潮文庫