金環日食

7時5分に新聞を取りに外に出る。家人がすでに玄関前で「太陽グラス」を当てて、東の空を見上げている。「なってきた!!」というので、さっと着替えて、道路に出て太陽の方向を見る。「太陽グラス」を目に当ててみると、たしかに太陽が月の影に侵食されていく。少し大きめの三日月(太陽)のようだ。7時20分、近所の子どもたちや、向こう側の高齢者夫婦がそれぞれ道路に出ている。意外に冷静な子どもたちの声が聞こえる。遅れて出てきた年配夫婦が知り合いの集まっているところに走っていく。
 
7時34分、金環日食になった。携帯電話の前に「太陽グラス」を当てて、試しに写真を撮ってみた。うまく写らないので、家人はデジカメで撮るのをあきらめたようだ。金環日食は小生を少しだけ感動させて、次第に逆三日太陽?に戻っていった。金環はアンコが端まで詰まりきっていない丸平餅のイメージ?!だった(違うなー)。
 
予想していたほど暗くもなりはせず、外に出した猫たちもとくに異常反応は起こさなかった。マスコミが繰り返し喧伝してきた、宇宙の神秘さはやや期待過剰に終わった。(金環日食 YOUTUBE) 皆既日食のイメージが重なっていたのだろう。それと朝のこの時間は、非日常性を体験できにくい時間だったのだ。
 
我が家の「太陽グラス」はアーテックという会社のもので、MADE・IN・CHINAだ。少年向けヒーローもののグラスのようで、それなりにサマになっている。家人がホームセンターから300円余で買ってきたという。店ではたいぶ以前から宣伝していて、大量に仕入れて大儲けしただろう。マスコミが「直接見ないで、一秒でも直視すると網膜を傷めるから」と大げさに報道していたものなぁ。自分もそれで直視は止めた。
 
先日、毛利衛著「宇宙から学ぶ―ユニバソロジのすすめ」(岩波新書)を読み終わったばかりなので、宇宙の神秘さを考えさせられたところだ。彼は「生命のつながり」という点をとくに強調していた。小生はいま、社会倫理研究会で「命のつながり」を学んでいる。講師のU先生は、当然、宇宙も視野に入れている。大体、多くの有識者がこうした視点を語るようになってきた。これも「人類の進歩」と位置づけられるのだろうか。