東京の東側・西側

今朝の毎日「余録」に、興味深い話が載っていた。
 
よく指摘されることだが、大都市はなぜか東側が下町、西側が山の手になっている。例えばイギリスの首都ロンドンがそうだし、アメリカの首都ワシントンもその典型だ。そしてもちろんわが日本の東京がそうである▲これはもちろん大ざっぱな議論である。第一、どこからが東側か線引きなどできない。その前提での話ではあるが、戦後の東京は西側に発展のけん引力があった。経済成長の象徴、あの東京タワーも「西」の港区に建設された▲東に比べ西はどこか華やか。若者のファッションの発信地、原宿、渋谷、代官山はどれも西だ。それに比べて、東はくすんだ印象だった。しかし、西に振れていた東京の「重心」がここ数年、東に戻りつつある気配を感じる▲東京スカイツリーが「東」の墨田区にできたのは、もちろん大きい。振り子を一気に東に押しやった。観光客が詰めかけるのはもちろん、近隣の地域はマンションの建設が急増しているという―。
 
「第一、どこからが東側か線引きなどできない」と暈(ぼか)しているが、アバウトな区分けはあると思う。かつて上京した頃、会社の先輩たちが「東北・北海道から上京した人たちは大体、初めは中央線の右側(東側)に住む傾向があるね」と話していたのを憶えている。小生は西武池袋線江古田駅下車の小竹町(現在の東京メトロ有楽町線小竹向原駅側)だった。その後、板橋区高島平団地の第一期入居者になった。
 
ネットで見たら「東京の東側は西側と比べると人気がなく、常に西高東低の結果が出ているのが不思議?東側とは葛飾・江戸川・足立・墨田・台東・荒川・江東区辺り、西側とは新宿・渋谷・中野・杉並・世田谷・目黒・大田・品川区あたりを言う」との質問あり。
 
ベストアンサーに選ばれた回答――いわゆる、東側は「下町」、西側は「山の手」。江戸時代に西側は田園地帯だったが、明治以降の山の手~武蔵野の開発、山手線や各私鉄の建設が進み、山の手は徐々に新たな住宅地として脚光を浴び始めた。元来江戸期から「下町は粋だが品がない」というイメージがあった上、明治以降山の手に政府要人・高級官僚の邸宅が建てられ、さらにいわゆる山の手言葉が「日本の標準語」と公認されるに至り、「山の手は高級、下町は下品」のイメージが定着した。昭和以降も若者向けの街や店は常に西側私鉄沿線に造られる傾向があり、西側ほど私鉄網の発達していない東側は若者が寄りつかなくなってしまった。常に西側ばかり雑誌やテレビで紹介されて、東側は「人気がない」というより「情報が足りない」のが現状だ。(なるほど!!)