篠田正浩「心中天網島」

今朝の読売「時代の証言者」で、映画監督の篠田正浩氏が「情念描いた『心中天網島』」を語っている。この映画は1969年の封切り直後に観ていたが、頭が突き破られるような衝撃を受けた。今でも鮮烈に覚えている。映画が始まるやぐいぐいと異次元の世界に引き込まれていった。いわゆる篠田ワールドであった。あの時代、われわれ若者を虜にしたATG作品である。
 
心中天網島」はもともと近松門左衛門人形浄瑠璃で、紙屋治兵衛と遊女小春の心中事件を脚色したもの。愛と義理がもたらす交錯がテーマであり、近松の世話物の中でも特に傑作だと評価されている。享保5年12月(1721年1月)、大坂竹本座で初演。全三段の世話物で人気を博した。
 
当時、篠田は大島渚吉田喜重とともに松竹ヌーベルバーグの旗手と呼ばれた一人で、われわれ若者の憧れでもあった。今朝の記事を読んでいて、あらためていくつかのことを思い出した。脚本は富岡多恵子(詩人)、音楽は武満徹(作曲家)、美術は粟津潔(グラフィックデザイナー)だ。これらのメンバーはすべてそれぞれの分野において〈若者の神々〉であった時代だ。そして表現のすべてが従来の映画の枠を超えていた。
 
   ウィキペディアによれば――近松心中天網島」は後に歌舞伎化され、今日ではその中から見どころを再編した『河庄』(かわしょう)と『時雨の炬燵』(しぐれの こたつ)が主に上演されている。「天網島」とは、「天網恢恢」という諺と、心中の場所である網島とを結びつけた語。近松は住吉の料亭でこの知らせを受け、早駕に乗り大坂への帰途で、「走り書、謡の本は近衛流、野郎帽子は紫の」という書き出しを思いついたという。