油壺の悲劇
昨夜、日本橋人形町の焼き鳥「久助」で、K社長が語った自らの家系の悲劇が興味深かった。同氏の祖先は元々三浦半島の支配者であった三浦一族の家臣であったが、油壺の地でほぼ全滅したという。そのとき生き残った数人が逃れて、現在に至っているとのこと。その姓を名乗るのはいまは40軒ほどで、すべて親戚に当たるという。同氏は横須賀出身で、その後、茨城の水戸で育った。
油壺湾は三浦半島の南西部にあり、リアス式の入り江になっていて、現在では奥がヨットハーバーになっている。この平和な湾がかつて三崎城が落城したときに、血の海に染まったのだという。三浦氏一族の死体から流れ出る多量の血が湾の水面を覆って、やがて血の赤い色が黒ずんでいき、まるで油のように黒っぽくなったことから油壺と言われるようになった、とK氏は話した。戦国時代のことである。