石原慎太郎「おやじのせなか」

今朝の朝日教育面「おやじのせなか」に石原慎太郎東京都知事が登場している。「蒸気機関車の窓を開けていて煤が目に入ると、目玉をパッとなめてとってくれた」、「51歳で高血圧で亡くなった親父の残した背広は少し短かったけど、学生時代、とてもありがたかった」などと父親のエピソードを語っている。
 
ノンフィクションライター・佐野眞一氏の「誰も書けなかった石原慎太郎(講談社文庫)はこれまで二度読んだ。正面からはつねに光が当たっているようにみえるが、実はその後には実に深い影が存在することを浮き彫りにする評伝だ。「石原慎太郎」という人格が、パズルを解くように分かる。例の目をパチパチさせる彼の癖も、佐野氏の筆刀で露骨に描き出している。佐野氏の著作は読むたびに、自分の性格を悪くする。でも、つい読んでしまう。
 
前半は慎太郎と裕次郎の父親である石原潔氏について、綿密な取材に基づいて書きあげている。潔氏は旧制中学中退で、山下汽船ではノンキャリアからのたたき上げだが、豪胆な性格で知られた。死ぬまで家族には贅沢をさせたが、慎太郎19歳、裕次郎17歳の時に亡くなった。かれら兄弟は神戸、小樽、逗子という港町で育った。こうしたことが、慎太郎に与えた影響は大きかった、と佐野氏は言う。
 
 佐野氏が鋭く指摘するのは、慎太郎の劣等感と心底の意外なほどの脆弱さである。学生時代や作家時代の彼に対する周りの評価は低い。政治家としての慎太郎にもその影は明らかに投影していることを、佐野氏は外さない。そして、慎太郎には時代の英雄になった裕次郎を誇りにすると同時に嫉妬の念を抱いていたとまで書いている。驕りと失意が裏表になっている、と述べている。
 
 慎太郎氏の幾重にもわたる大胆な行動の原点、それをこの「おやじのせなか」のコメントはいみじくも象徴している。「いま声をかけるなら『私はこれでよかったんでしょうかね、お父さん』だね。『おやじの背中』じゃないんだ。僕はいつもおやじを正面から眺めていた。おやじも正面から見ていてくれた」と結んでいる。カリスマ性と大衆迎合のクロスする細い線の上に、いま「石原慎太郎」はこれまでの人生の影を引きずりながらバランスをとっているように見えてしまう。