小沢一郎と幸田露伴

小沢騒動をめぐるマスコミの過熱報道を見聞きしていたら幸田露伴の「幸運に関する三説」を思い出した。いささか逆説的ではあるが、見事に小沢問題の本質を突いている。
 
露伴の「幸運に関する三説」とは、①自分に良いことがあったら幸運を周囲の人に分ける「分福」、②自分にいいことがあったらそれを大切にする気持ちになる「惜福」、③人のためになることを進んで行う「植福」、である。この三つを心がけている人は幸運になる、と彼の著作「努力論」に書いてある。さて、小沢氏は幸福になれるのか?
 
幸田露伴は慶応3年に江戸下谷(東京都台東区)で生まれ、昭和22年に80歳で亡くなった。「風流仏」で評価され、「五重塔」「運命」などの文語体作品で文壇での地位を確立した。尾崎紅葉とともに紅露時代を築いた擬古典主義の代表的作家。漢文学・日本古典や諸宗教にも通じ、多くの随筆や史伝のほか、古典研究などを残した。
 
数え年16歳の時、給費生として逓信省電信修技学校に入り、卒業後は官職である電信技師として2年間、北海道余市に赴任していた。その跡地といわれる北海道立水産試験所の構内に幸田露伴直筆の碑がある。また、その縁で幸田文も数回訪れているという。
 
 露伴は現地の芸者衆に人気があったと伝えられるが、坪内逍遥の『小説神髄』や『当世書生気質』と出会った露伴は、文学の道へ志す情熱が芽生えたと言われる。そのせいもあり、1887年明治20年)職を放棄し帰京。この北海道から東京までの道程が『突貫紀行』の題材であった。露伴は飛び出して成功したが、小沢氏は如何に?!