「ぼけ老人」と「痴呆老人」の違い

毎月初めに小生が楽しみにしている一つが、某特養老人ホームのニューズレターだ。K施設長が書いている巻頭言は、実に興味深い。7月号で記憶力が低下した98歳の自分の母親について書いている。月に一度、長男の家からKさん宅に泊まりに来るという。そして、二人の子ども(孫)の話を執拗に聞く。とくに娘さんは在米中なので近況を聞きたがるという。孫たちが小さかった頃、Kさん宅でしばらく面倒を見たそうだ。
 
それでスカイプを使って母親とアメリカにいる孫・M子さんとが交信したという。母親は画面の孫に向かってしきりに話しかけるが、耳が遠いので返事は聞こえていない。だいぶ話して電話を切って10分ほど経ったとき、母親はKさんにこう言った。「ねえ、M子は最近どうしてる、元気かい?」K氏は「エーッ?」と大きな声を出してから呆然とした。
 
「たった今―」という言葉が喉元まで出たが、呑み込んだという。しかし母親はK氏の驚愕した顔を見て、明らかに狼狽した表情に変わった。瞬時とはいえ、声を出し、驚愕の顔をみせたのは明らかに失敗だった。職業柄、自分は似たような場面に毎日遭遇し、冷静に対処する方法も心得ていたはずだ。肉親のこととなると、適切な対応がとれなかった。そして、その日は最後まで母親から孫の話はいっさい出なかった。
 
巻頭言はこのような内容だった。これらの話の中には多くの要諦が含まれている。「さすが!」といつも感じさせる力のある文章だ。大井玄著「『痴呆老人』は何を見ているか」(新潮新書)に、「ぼけ老人」と「痴呆老人」の違いは認知能力の差だとある。意地悪な人間関係の下では「ぼけ老人」は早々に発生するが、暖かく寛容な人間関係では、知力が相当低下しても「ぼけ」とは認知されにくくなるとある。「痴呆」は脳のCT所見や知力検査によって診断された医学用語だという。