札幌地下鉄には網棚がない

 つい先日、友人と「札幌の地下鉄には網棚がないよね」と話をしていたばかりだった。昨日、北海道新聞WEBでみた論説コラム「卓上四季」の場面を想像して目が皿になった。
 
 〈体験談は何度か耳にしていたが、実際にその現場に遭遇してみると恐ろしいやら、腹立たしいやら▼札幌市営地下鉄東豊線での通勤途上。豊水すすきの駅から乗車した出張客とおぼしき中年男性が、網棚があると思い、ボストンバッグを持ち上げた途端。当方の地肌むきだしになりつつある頭部を直撃した。▼一瞬目がくらんだが、男性の放ったひとことが怒りに変わった。「東京にあるのに、何で札幌にはないんだ」。すぐに「まずは『ごめんなさい』だろ」と言い返したものの、次の大通駅で降りたため、乗客が見守る「車中劇」は一瞬で幕引きに〉
 
 「卓上四季」子は「慣れの恐ろしさ」と「東京中心の発想が地方の人間を危険にさらしかねない」と、憤慨している。(分かるよ、その気持ち!!頭の上からボストンバッグが降ってきたのだからね)。〈▼東京ばかり意識していると揶揄(やゆ)されがちな札幌だが、網棚を設置しないのは見上げた“反骨精神”。痛みをこらえて声援を送りたい。「それでいいのだ」〉と結んでいる。
 
 「札幌学」(岩中祥史著、新潮文庫)はいつも手元において、ストレスだらけになったときに読む〝いやし〞の一冊だ。ご存知の方もいると思うが札幌人、北海道人の特徴を見事に取り上げていて、吹き出してしまう。これこそが「北海道の文化」だ。「本州には歴史と伝統があるかわりに、同じ量だけの因襲がある」と断じたのは司馬遼太郎である(『オホーツク街道』)。昔から北海道にないもの、それは因襲やしがらみだ。ゼロとはいえないが、きわめて希薄なのである。