「ヨソモノ、ワカモノ、バカモノ」の力を―

   朝日の「経済気象台」に、「各地の地域おこしの内容が似ていて、決定打に欠けるように感じる」とある。「失礼を覚悟で言えば、『地元偏愛症候群』だと思っている」と言い切っている。たしかに、わが町は自然に恵まれ、地元の食べ物は抜群だとの言葉を、どこに行っても聞く。同コラム筆者は、「それだけでは魅力ある地域のアピールにはならないことをもっと強く自覚すべきだろう」と語っている。
 
 「米の経営学者マイケル・ポーター氏は競争の基本戦略として、他者と差異を創出することの重要性を説いている。ところが、『地元偏愛症候群』にかかると、思考の視野が狭くなって、この差異化の詰めが恐ろしく甘くなる、というのが私の見立てだ」、「それは、単なる風景の違いや、味の差といったものではなく、顧客から見た価値の高さである。これを競い合ってこそ、観光客を内外から引き寄せることができる。その結果、観光客の数も増える」
 
 この筆者は「視野の狭さから脱却する時、頼りになるのは『ヨソモノ、ワカモノ、バカモノ』だ。彼らの力を借りながら、その地域ならではの顧客価値をつくりあげてほしい」と提言している。この見解は、日本人の多くのケースに当てはまる。単一民族ゆえに阿吽の呼吸で物事が決まること、和の精神が議論を嫌うこと、自らの力量を絶対化して判断してしまうこと、などだ。いわば閉鎖社会の硬直化が進んでいる。
 
 故郷に残ったある知人は、かつてわれわれ脱出組に対して「都会に出ていった者にこの町の何が分かるか―」と食ってかかった。ノスタルジックに昔の故郷像をそのまま残している街ほど、この「地元偏愛症候群」に陥っている可能性が高い。顧客や消費者の視点から町の真の価値を洗い直すには、「ヨソモノ、ワカモノ、バカモノ」の意見を聞くことだ。それらを無理しながらでも実行し、積極的に発信していく地域だけが今後は生き残っていくだろう。