「夏の甲子園」とミズノの関係

明日から、夏の甲子園(第94回全国高校野球選手権大会)甲子園球場で開幕する。昨日は3回戦までの組み合わせが決まった。全国3,985校の球児たちがめざした夢の舞台だ。そこに立つことができた49校による熱戦がいよいよ始まる。わが埼玉代表の浦和学院4日目に隣県・群馬の高崎商業との対戦が決まった。激しい戦いになりそうだ。
 
この「夏の甲子園」にミズノ創業者・水野利八がかかわっている。そう、スポーツ用品のミズノである。明治後期に「野球」が学生の間で広まり、明治36年(1903)には第一回早慶戦が行われた。その秋に、京都の吉田山グラウンドで第三高等学校野球部と神戸在住の外国人クラブとの試合が行われ、大勢の観衆をわかせた。
 
この群衆の中に、水野利八がいた。その時、彼は京都の呉服屋に奉公する19歳の丁稚で、店に帰る途中に観戦していたという。このことが、現在のスポーツ用品メーカー・ミズノにつながっていく。彼は日露戦争に出征した後、戻って弟の利七とともに水野兄弟会社を大阪・梅田駅近くに開いた。
 
ごく小さな洋品店であったが、他の店と違いスポーツ用品も扱った。彼は野球がある時には球場に赤シャツを着て行き、運動服の注文をとったという。それで評判が出て、店は繁盛した。開店から四年後に店名を美津濃商店と改称し、規模を拡大した。明治末から大正初めにかけてスポーツ・ブームが起こった。これで、美津濃は急成長した。
 
利八はこの追い風に乗って、大正2(1913)の夏に関西学生連合野球大会を豊中グラウンドで開催した。一商店主催なのに、25の中学校が参加した。これを見逃さなかったのが、朝日新聞社である。「全国大会にしたい」と申し込み、利八が受け入れて、同4年から全国中等学校野球大会として毎年開催することになった。現在の「夏の甲子園」の始まりだ。(森友幸照著「明治のリーダーたちに学ぶ今」参照)