東京タワーにあった「軟球」

今日の北海道新聞「卓上四季」に「タイムカプセル」と題して、東京タワーと軟式野球ボールの話が出ている。
 
【先日、本紙の朝刊に東京タワー(高さ333メートル)のアンテナ支柱から、古い軟式野球ボールが出てきたという記事が載った▼東日本大震災で曲がった支柱の付け替え工事中に見つかった。アンテナ資材はタワー建設中の一時期、近くの増上寺の空き地に置かれていたそう。そのため、《1》作業員や子どもがキャッチボールをしていて偶然入った《2》作業員が冗談半分か記念のつもりで入れた―という二つの可能性が考えられるという▼思えば「軟球」は、いまよりずっと身近にあった。キャッチボールは放課後や仕事の合間に空き地や路地で興じる遊びの主役だった。この手に握り、投げていたのはゴム製の軟球▼地上約300メートルにあった“タイムカプセル”は昭和の匂いや手触りを呼び覚ます。東京スカイツリー開業で日本一の座を奪われた年に封印が解かれたのも、どこか因縁めく】
 
引用が長くなったが、「軟球」という言葉にノスタルジーを呼び起こされた。小学校3,4年生ごろ学校から帰ると毎日、草野球を暗くなるまでやっていた。やりすぎて膝に水が溜まり、母に小樽まで連れて行かれて水を抜いたこともあった。小樽に行けば必ず「カツ丼」を食べさせてもらった。磨いたグローブに軟球を挟み、枕元に置いて寝た。
 
学生時代は一年半、準硬式(B球)野球部にいた。夏になれば札幌・藻岩山のジンギスカン園で、部員全員がアルバイトをして道具を揃えた。白ワイシャツに蝶ネクタイで七輪、肉、ビールをもって坂を上り下りした。トレーニングにもなった。賄い食も学生には魅力であった。その後、大学紛争が激しくなり、部活が萎んでいった。
 
7年前に埼玉医大に入院した時、同室に東京タワー建設工事の鳶職だったHさんという爺さんがいた。顔が老けているのに、動きは俊敏だった。東京タワーにかかわったことは彼にとって人生最大の誇りであることがすぐ分かった。それこそ「三丁目の夕日」に出てきそうな人で、新入患者の面倒見が抜群に良かった。それで、みんなが一目置いていた。道新の記事を見て、Hさんたちが昼休みにキャッチボールをした「軟球」だったのでは・・・そう思った。