谷川俊太郎「死んだ男の残したものは」

  今朝の読売で、谷川俊太郎をとりあげている。芥川善好編集委員が随筆欄「時の余白に」に「自画像、描けますか」と洒脱に書き上げたーー「自分とつきあう」とは結構しんどい言葉だが、谷川さんは勝新太郎の自問の言葉に感心してエッセーに書いている。「大変な自分と出会うまでは、ほんとに自分と出会ったことにならないんじゃないか」。
 
 また、谷川さんは、宝物にしているレンブラントの銅版画自画像に「かなわないなあ」と思っている。自分を客体化し、他人を見るような目で描いている。その視線の質に、言葉で書く人として「かなわないなあ」と言っている。レンブラントは生涯にわたって自画像を描き続け、年とともに自分を直視し続けた。「若さ丸出しの気恥ずかしいような」自画像も。人としての成熟の後が、実に多彩な表現でとどめられているーー
 
 この随筆を読んでいて「死んだ男の残したものは」という歌を思い出し、脳幹にほろ苦さを感じた。ベトナム戦争さなかに高石ともやなどが歌っていて、学生の間では人気があった。学生時代、教育実習の最終日のことだ。担当した中2のクラスの生徒たちと牛乳で乾杯して、別れに歌った。「死んだ男の残したものは、一人の妻と一人の子ども、他には何も残さなかった、墓石一つ残さなかった」。21歳の頃だ。今でも多少悔やんでいる。
 
 黒板に歌詞を書き、歌ったのだ。なぜ、希望の歌を残してやれなかったのかー。明るいメッセージを送ることができなかったのかー。若かったはといえ、あまりにも杜撰な選曲だった。だけど、しかし、ですよ! ―いつか、こう考えるようになった。谷川俊太郎という優れた詩人が作詞して、武満徹という天才が作曲した歌なのだから、きっと素晴らしい真理の世界が包含されているはずだ。50代になっている彼らの一人でもそう感じてくれればいいや!! (だれも憶えていないか!?)