重松清マジック

  テレビは毎日ほとんどニュースしか見ない。あと少しばかりのドキュメンタリー番組と。でも、今日からニュースも程々にしか見ないことにする。フラッシュのように過ぎていく出来事に時間をとられすぎていることに今更ながら行き着いた。これまでも何回かはそうしたが、しばらくするとまた「ニュース漬け」の日々になっていった。仕事の関係もあった。
 
 このところ寝る前に20分ほど「寝酒」ならぬ「寝読」を続けている。じっくり読む本は午前とか、時間のあるときに読む。そうではなくて、軽い感じで読み流す読書だ。これは音楽でもよい。かける曲さえ間違わなければだが・・・。たまに覗く「ommo」氏のブログに先日、ビリー・ホリデイやニーナ・シモンがアップされて、久しぶりに聴いた。いろいろな場面が浮かんで、寝つきはあまりよくなかった。
 
 いま読んでいるのは重松清の短編集「みぞれ」(角川文庫)。重松自身が述べているように「お話」を収録したものである。彼の文章は読みやすく、どんどんスピードが上がっていく。短編の途中で何回かブレーキをかけなければならないほど、上手い。種々のジャンルのいろいろな文章を書き続けてきた重松らしい技巧だ。
 
 「遅霜おりた朝」という作品に「自分の中にある未来と過去のバランスが歳をくうごとに変わっていく」との一行があった。ここを読んだときに、動けなくなった。重松マジックに嵌められたのだ。彼はときどきこの種の「いたずら」をする。この小編を読み終わってから、もう一度この言葉に戻った。ページに白い紙を挟まざるを得なかった。読み終わったら、この本は片付けてしまおうと思う。