「山の上ホテル」と「腰巻大賞」

   今朝の日経「春秋」に東京・神田駿河台山の上ホテル(Hilltop Hotel)が下水道料金をごまかしていたことが取り上げられている。池波正太郎川端康成三島由紀夫壇一雄などが常連で、大物文人好みの「格」のあるホテルとして知られる。ところが、館内で使う井戸水の配管に計測メータを迂回する不正をしていた。このニュースは先日、マスコミが大きく取り上げた。同ホテルはクラシックホテルの一つで1936年(昭和11年)に完成した旧館のアール・デコ調の内外装はいまでは珍しい。
 
   かつてこのホテルで毎年「日本腰巻文学大賞」授賞式が行われた。雑誌「面白半分」の企画で、1973年の初受賞は山口瞳著「酒呑みの自己弁護」(新潮社)だった。「腰巻」というのは本のオビで、女子書店員に「腰巻落ちたよ」と言えば今ではセクハラ発言になると書店員が話していた。この授賞式にはほとんど参加した。小生の「人生師範」でもあるM先生が同社社長の佐藤嘉尚氏から「面白半分」立ち上げでも相談を受けていたので、いつも小生を一緒に連れて行ってくれたのだ。
 
   会場には写真でしか見たことのない大作家や評論家、マスコミ関係者が溢れるように詰めかけ、酒盛りをしていた。挨拶も聞こえるのは最初の一人か二人だけで、あとはワイワイガヤガヤ。酒を飲むスピードがドンドン加速していくを唖然としてみていた。一瞬、場内が静かになった。詩人・金子光晴氏がやってきたのだ。この大御所には一目置かざるを得ないようだ。金子氏は演壇に上がり、十分に間合いを取りながら短い挨拶をした。すごい迫力だった。これが終わった瞬間から無礼講だった。
 
   金子氏も一時、編集長であった。吉行淳之介野坂昭如開高健五木寛之井上ひさし、などのお歴々が編集長をつないでいった。壇上では、野坂がベロベロになって「黒の舟歌」を怒鳴っていた。同誌は「四畳半襖の下張」転載号がわいせつだと摘発され、結局敗訴した。雑誌は廃刊した。佐藤氏が1991年の自民党総裁選で宮沢喜一氏の広報担当だったことや、「伊能ウォーク」(平成の伊能忠敬・日本を歩こう/朝日新聞120周年記念事業)の提唱者だったことはあまり知られていない。