丸谷才一は村上春樹好みだった

丸谷才一氏が死去した。87歳だった。知の巨人が、混迷する凡人たちを置いて逝ってしまった。丸谷氏本人は二度ほど見たことがある。一度は神田・山の上ホテルの「腰巻大賞」の会場で「挨拶」に立ったとき。おとなしそうな顔のわりに声は大きく響いた。ウイットに富んだ短いメッセージだった。当時まだ「少年兵」の域を出ていなかった小生には、震えるような場面だった。もう一度は「文芸春秋」の喫茶室ですれ違った。丸谷氏という人の大きな「空気」を感じた。
 
丸谷氏が人気作家・村上春樹氏をどう見ていたか、芥川賞選考の際の話がある。アメリカ文学の影響を受けた作品で芥川賞を受けた庄司薫氏は、受賞後しばらくして文壇から消えてしまった。村上氏が受賞できなかったのは、そのマイナスイメージが当時の選考委員の頭に残っていたのでは―との説がある。村上氏の「風の歌を聴け」もアメリカ文学の影響を強く受けている作品だ。選考委員の多くが、そうした新人に1回目のノミネートで賞を与えることを躊躇したのではないかというのだ。
 
この時は2人の選考委員の意見が対立した。10人の選考委員のうち、村上春樹氏を推したのが丸谷氏で、反対したのが瀧井孝作氏。この2人の対立になって、結果は選考委員の中で存在感が大きかった瀧井氏に残りの多くが賛同し、村上氏は受賞できなかった。
 
当時の選評を掲載した79年の『文藝春秋』9月号で、丸谷氏は「村上春樹さんの『風の歌を聴け』は、アメリカ小説の影響を受けながら自分の個性を示さうとしてゐます。もしこれが単なる模倣なら、文章の流れ方がこんなふうに淀みのない調子ではゆかないでせう。それに、作品の柄がわりあひ大きいやうに思ふ」と述べている。

 いっぽう、瀧井氏は「外国の翻訳小説の読み過ぎで書いたような、ハイカラなバタくさい作だが・・・。このような架空の作りものは、作品の結晶度が高くなければ駄目だが、これはところどころ薄くて、吉野紙の漉きムラのようなうすく透いてみえるところがあった」と評している。