井上陽水「傘がない」

昨夜、居間に入ったらTVのバラエティ番組に石川セリが出ていた。井上陽水夫人である。久しぶりに見た。父がアメリカ人、母が日本人のハーフで、かつて独特の存在感で歌っていた。番組途中では娘のサラサまで出てきて、陽水の物真似を披露していた。例によって「お元気ですか・・・」だ。陽水はすでに十分に〈伝説の人〉になってしまった。
 
先日「第四の消費」(三浦展著、朝日新書)巻末の「消費者社会160年史年表」を眺めていたら、1973年に、井上陽水「傘がない」ヒット、とあった。この年は渋谷パルコがオープンし、第一次オイルショックが起こり、CMの鬼才といわれた杉山登志が自殺した年だ。前年にはあさま山荘事件が起こり、ローマクラブは「成長の限界」を発表して警鐘を鳴らしていた。そんな混沌とした空気が斑(まだら)模様に社会を覆っていた時代だった。
 
陽水の「傘がない」を友人のH君が小生の結婚式で歌ったのは、1971年4月のことだった。妻の姉夫婦家族と小生の友人数名がささやかな宴をしてくれた。当時お菓子屋さんでアルバイトをしていたK君が作った小さいケーキがうれしかった。この会の終わりごろ、当時まだ長髪のH君がギターの弾き語りで「傘がない」を歌ってくれた。この曲がシングルカットされたのは1972年7月だから、H君は一年以上も前に歌っていたのだ。
 
そんなことを思い出していた。今度、H君に会ったら、久しぶりに「傘がない」を聞かせてもらいたい。そう思った。陽水の声とは異なるが、H君の歌唱もなかなか本格的でサマになっているからだ。