「タラコで飯を食ってきた」

    「塩鱈や旅はるばるのよごれ面」(大祇)。今朝の読売2面「四季」に載っている句だ。鱈は北の冷たい海に住む魚だ。江戸時代は裏日本沿岸を通って京の都に塩鱈として運ばれたのだろう。「その顔には雪ならぬ塩がこびりついて、長旅の苦労をしのばせる」と選者は記している。鱈の顔の皮は薄くて、水から上げると剥げ落ちやすくなるのだ。
 
明日は立冬。このころから北日本沿岸では鱈が取れ始めてくる。今年の北海道は記録的な猛暑だったが、寒気の訪れも急激のようだ。「一気に冬の気配です」と妹からのメールにあった。これから1月末まで本格的な鱈の季節になる。吹雪の中での漁と、網からはずす作業は漁師やその家族の体を芯から冷やす。厳しい仕事だ。
 
早い時期のタラコはまだ小さくてきれいな肌色をしている。母はこのタラコをこんにゃくの細切りと一緒に醤油で煮付けておかずにした。子どもが一口で食べられるような大きさで、ほんのりと甘みもあった。我々兄弟は競ってご飯をおかわりしたものだ。昔は我が家でもタラコを作っていた。父が取ってきた鱈から母がタラコを出して、塩で漬けた。
 
出来上がると大きさをそろえて木樽に詰めて、等級ごとに赤や紫の縄で縛った。それをソリに乗せて漁協に運んだ。その収入が我が家のコメに変わった。真に「タラコで飯を食ってきた」のだ。母が作るタラコは塩分をあまりきつくしないので美味しかった。当時、それぞれの家庭に独特のタラコがあった。いまも郷里ではタラコ加工業者が多い。
 
魚卵大手・井原水産のタラコの中に、釣った鱈からつくったタラコがある。網で取った鱈の子よりも高級品だ。値段も少し高いが、抜群に旨い。塩分控えめで、熱いご飯のお供には最適だ。明太子ブームだが、メンタイとはスケソウダラのことで、明太子はその魚卵である。博多の明太子の多くは北海道産のタラコを原料にして作られている。