丸谷才一の墓誌と大岡信

「なんと諧謔の人だろう。自分の墓に股間と刻むとは。丸谷才一さん最後の対談が季刊『大岡信ことば館だより』冬号に乗っている」。こう始まる今朝の朝日・読書面(14面)「本の舞台裏」にある「丸谷才一最後の対談」が上手い。白石明彦記者が書いたコラムだ。丸谷氏は鎌倉の墓誌に「ばさばさと股間につかう扇かな」の自分の句を記している。この句は大岡信撰「折々のうた」に選ばれたと書いているという。古希に編んだ「七十句」(立風書房)のなかの一句。
 
この句集のあとがきで大岡信氏について存分に書いているとのこと。「大岡さんの詩質をこれほど端的に評した言葉を私は知らない」と白石記者は述べている。「大岡さんを紀貫之藤原俊成になぞらえる。療養中の大岡さんは対談をむさぼるように読み、(文芸評論家の)三浦雅士さんに一言『おもしろかった』と語った」そうである。―そうか大岡信氏は病気だったのだ。知らなかった。もう81歳だから、そうかもしれない。23歳で上京したとき、すぐに新聞で案内を見つけて若々しい大岡氏の文学講演を聞きにいった。
 
学生時代から憧れていて登場するまで胸が高鳴った。当時、大岡氏はまだ読売新聞外報部の現役記者で、紺のスーツで壇上に現れた。この人の話し言葉はいつも力むということがない。この日も淡々と詩歌の話をした。メモを取ろうとしたが、手が震えてほとんど書くことができなかった。大岡氏はその後、多くの作品を発表して偉大な詩人になっていった。日本的な平面思考に、西洋的な立体構図を組み合わせた独自の世界観を確立した。その言葉のつるぎは柔らかでいて鋭い。