「五勝手屋羊羹」に思う

   札幌に住んでいる下の妹がときどき北海道の名産品を送ってくれる。その中にほとんどの場合、「五勝手屋羊羹」が入っている。江差町にある五勝手屋本舗の商品で、江差生まれの父が大好物だった羊羹だ。われわれ兄弟姉妹が幼いころから聞かされていた故郷・江差の話に、いつもその名前は出てきた。その羊羹を何十年間も毎年食べてきて、昨夜も年末を控えた65歳の自分が食べた。味は昔と変わらないが、すでに父の歳をだいぶ越した。
 
 五勝手屋羊羹といえば、丸缶羊羹だ。筒型のケースに入っていて、糸で羊羹を切りながら食べるのが特徴。昭和14、15年頃に指を汚すことのない工夫として考案されたという。また、レトロの趣に満ちた包装紙の模様は明治時代に品評会で授与された賞状を模したもので、独特の雰囲気をもっている。この羊羹はもともとは藩公に献上したというから、松前藩のお殿様が召し上がっていたはずだ。北海道の歴史ある菓子だと言えよう。
 
 父は漁が終わって沖から戻ると必ず床屋さんに行って身ぎれいにしてきた。子どもたち4人と卓袱台で晩ご飯を食べた。お汁粉と豚汁(肉鍋と言った)が定番だった。父の自慢は江差のお祭り、江差追分、五勝手の羊羹であった。寝るときは江差の繁次郎というトンチ話をしてくれた。ニシンを追いかけて江差から日本海沿いに北上して古平にたどりつき、母と結婚した。若いときはカムチャッカ半島樺太にも行っている。押入れには「オール讀物」「小説新潮」が溢れていた。
 
故郷・江差に寄せる想いは強く、その自慢話を子どもたちに聞かせた。蝦夷地最古の祭りである姥神大神宮祭はその年のニシン漁を終え、豊漁景気にわきかえる夏の江差で行われるお祭りだった。父が亡くなった翌年に母、叔母(父の妹)とこの祭りの時期に江差を訪ねた。父が語っていた通り豪勢なものであった。父はふだん酒をほとんど飲まなかったが、母の弟妹など身内の祝言の時には飲んで、よく通る声で「江差追分」を謡った。羊羹の味に父の声が重なった。