早野透著「田中角栄」

   土曜日の夜から早野透著「田中角栄(中公新書)を半ば涙ながらに読んでいる。まだ半分手前で、出自から越山会の組織化までのところだ。今夜から、田中角栄は岸改造内閣郵政大臣として入閣していく。ここから権力のトップに向かって疾走を始める。先日、政治ジャーナリストのK氏が会話の中で「いい本だよ」と一言述べたのが耳に残っていた。土曜日午後に本屋で求めてきた。
 
 著者は朝日新聞政治記者として田中に長い間、接し続けた。「角栄は一つひとつの体験から、人生訓を引き出すのが癖である」、「実感的、経験的、そして人生訓的であることは、角栄の生涯の思考形式である。だが、それもやむをえない。角栄は中曽根と違って、大学の教壇から抽象的想像力、体系的思考を学ぶ機会はなかった。角栄にとって人生はひたすら『具体』の積み重ねであって、『抽象』ではなかった」と書いている。
 
 この「具体」に生きたことが政治家田中角栄の強みであり、弱みでもあった。早野氏は「角栄は変に肩肘を張った国家意識を持たなかった。しかし、出世するのにカネの威力に依存し過ぎたことは、「抽象」の価値を持たなかったことの弊だった」と指摘している。父・角次は牛馬商で、鯉を養っていた。馬喰(ばくろう)の鑑札をもち、損得の大きい、危険な投資でもあった。ただの百姓ではおさまりきれない山気のある男だった。
 
 小学校しか出ていない角栄は同級生を大事にした。同級生はこの人たちだけだった。彼らの一人は、「少年角栄のどもりがひどかったこと、よく勉強ができてとくに算数が得意だったこと、ずっと級長だったこと、音楽の須田先生と相談して鼓笛隊をつくったこと、級長だった角栄が指揮棒を振ったこと」を回想している。その後、鼓笛隊の少年たちは皆、東京に向かった。それぞれの人生の変転をくぐって生き抜いた。1918年(大正7年)生まれ。自分の父とほぼ同時代に生きた。