映画「レ・ミゼラブル」

 昨日午後、有楽町マリオンで「レ・ミゼラブル」を観た。ビクトル・ユーゴーの同名小説を原作にして、世界43カ国で上演されて大ヒットを記録した名作ミュージカルの映画化。映画館に入ったのは、夕方の約束まで時間が大幅に空いたのと、体が疲れていたのでもし眠ったらそれでもいいやとの理由だ。映画の感想を一言でいえば、「シニア料金1,000円にマッチした中身でさしたる感動はなかった」というのが本当のところ。
 
 開演間近かになって驚いたのは、ほとんど満員の観客が60~70代のジジ、ババばかり。もちろん自分もその一員だ。ウィークディの午後なのだから当然といえば当然だが、一種奇妙な雰囲気が場内に漂っていたのは確かだった。左隣は自分よりも5歳程度の年配男性、右側はほぼ同年代の女性二人組だった。「ああ、こうした風景がどの場面でも見られるようになるのが高齢化社会と言う奴だ」と実感した。したり顔の高齢者はあまり見たくない。
 
 約3時間のミュージカル映画には、ぞっこん入り込めなかった。台詞がすべて心内を高らかに説明してしまうので、魂に余韻が残らない。「わたしはあなたを愛している」と伝え、その理由をまた「数学的に」解析して歌い上げていく。時間の経過と、場所の設定がよく理解できなかったところもあり、映画に「耽溺する」ことは全くできなかった。1+1=2という西洋的な思考論理の表現は、『まるドメ』(まるでドメスチック)の自分には向いていない。
 
 フランスのカトリック聖堂が象徴する神との「対話」も、「主よ、主よ」と何回も神に問いかける場面があったが、深い感動にはいたらなかった。ただ、キーワードになっていた「Who am I?」と自らに問いかけ、神に祈る場面では場内からジジ、ババのすすり泣く声があちこちから漏れていた。年寄りは涙腺がゆるくなるのだろう。そう思った。「罪を重ねる人間の業の深さ」が「神の愛」と対比されていたからだ。安宿屋の強欲夫婦が狂言回しの一役を担っていたが、この二人は好演◎だった。