3月11日の朝に

 昨日昼は札幌の妹に、今朝はいましがた積丹町の妹に「暴風雪お見舞い」の電話をした。いずれの言葉からも「まだ真冬の寒さで、季節の変わり目さえ感じない」との厳しい響きが伝わってきた。前回の土曜・日曜につづき今回も土曜・日曜日に呆れるほどの大雪が吹雪状態で降ったという。
 
 こちらでも気温25度の日になったと思ったら、昨日の昼過ぎから予報どおり北風が「煙霧」状態で吹きまくった。朝、新聞を取りに玄関を出たら、肌を刺すような風がまだ続いている。せっかく近所の梅が満開になったというのに、また「冬戻り」だ。おまけに花粉症のピーク時が来ていて、鼻水が止まらない。
 
 そして、3月11日になった。二年前のこの日にあった地震津波原発事故は、我々の生活と生き方を変えるといわれた。一年後に小生は口癖のように「日本は復興できるのか」とさまざまな人たちに聞いてきた。不思議だったのは80歳以上の知識人の多くが「できる。日本全体がやられたわけではない」と答えたことだった。
 
 敗戦の焦土から復活させてきた人たちの判断は正しいのか? 彼らの説では「今回の被害は東北地方に限られていて、全土ではない」からだ。この復興の滞りの中で、また「あの時間」が来て自分はいつも通りベッドに仰向けになって治療を受けようとしている。あの時、「生きたい」とベッド上で感じたことを忘れてはならない。
 
幸い、医療スタッフの適切な指示で患者たちに動揺はなかった。この一年間にベッドの右側に柵が嵌められた。揺れたときに掴まるためだ。履物はスリッパ禁止となり、クツが義務づけられた。逃げる準備だ。そして、スタッフを中心に応急マニュアルと避難訓練の徹底が行われている。一歩ずつだが、確実に進歩している。